三川内焼について
窯の歴史
◎歴史
三川内焼は、十六世紀末 当時の平戸藩主 松浦鎮信公が、「朝鮮の役」の時 平戸に連れ帰った
陶工達に焼き物を作らせたのが始まりとされます。そのため三川内焼は別名平戸焼といわれます。
その後、良質の陶土を求めて陶工達がたどり着いたのが、当地三川内です。
当窯の祖先で三川内天満宮に祭られる「高麗媼」も、元和八年(1622年)に三川内長葉山に開窯したと
され、平戸松山窯もその流れを脈々と今に引き継いでおります。 作品の主流は『染付』です。
染付とは、焼物の焼成前の生地に焼き上げると藍色に発色する「呉須」を用いて絵を描く技法です。
青一色で、人間の表情や草木の瑞々しさを表現しなければならないため、
細やかで熟練した描写技術が必要とされます。
雲鶴図 蓋物(古平戸) | ||||
細い筆先だけを使った 線描き | ||||
大きな筆でたっぷりと呉須を もたせてボカシを入れていく 濃み(ダミ)技法 |
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